今回はThe VergeというTECH系メディアの共同創設者兼編集長のDieter Bohnのお別れの挨拶。ちょうど私がカメラマンを辞めて、テクノロジーを仕事にしようと思ってた頃からフォローしている人で、よい文章だったのでより多くの人に届けたかった。原文のほうがずっといいので、英語が読める人はぜひそちらを。
ついでにThe VergeのYouTubeチャンネルの中でもBig Pictureというシリーズがおすすめです。
心からのお別れを
メディアから離れます
by Dieter Bohn|The Verge|https://bit.ly/3INPfv4
Photo by Vjeran Pavic
設立から10年、The Vergeは今もテクノロジーがカルチャーに与えるインパクトを垣間見れる格好の場所であり続けています。しかし、今日を最後に、私はこのチームから抜けます。VERGECASTのリスナーなら、ディスクロージャー(透明性を持って、情報を開示すること)が私たちのブランドであることはご存知でしょう。私は、Googleのプラットフォーム&エコシステムズ・チームで働くことになりました。AndroidやChromeのようなソフトウェア・プラットフォームの未来を作る手助けをすること、そしてテクノロジーとカルチャーの接点で今後も働き続けることを、とても楽しみに思っています。
(さらなるディスクロージャー:この記事が読まれる頃、私はThe Vergeの編集部から離れており、しばらく編集の決定には関わっていません)。
しかし、ひどく不格好な感謝の言葉を述べて去っていく前に、ほんの少しこの20年間を振り返ってみたいと思います。私たちは、「テクノロジー・ジャーナリズムをこれまでとは違った形で行うにはどうしたらいいか」という、壮大なアイデアをもってThe Vergeを設立しました。テクノロジー、特に消費者向けテクノロジーは、カルチャーを創造するという命題からスタートしました。当時はとても大きなアイデアに思えましたが、今では私たちの想像をはるかに超えるものになりました。
10年後の今、The Vergeは、テクノロジーがどのようにカルチャーを形成し、またカルチャーによってテクノロジーがどのように形成されるかを、どのメディアよりもよく見ています。かつては、「これはすごい!」と思った洞察も、今では多くの人に受け入れられています。私たちが扱う分野は、政策、科学、気候、交通、クリエイター、ゲーム、映画など、どれもテクノロジーの影響を受けながら、かつてないほどの速さで変化し、いろいろな形で進化を遂げているものばかりです。その進化は衝撃的であると同時に、多くの場合、恐怖を与えています。
テクノロジーは、コミュニケーションの方法だけでなく、私たちの考え方やあり方を根本的に変えたと言うことは、すごく過激ですが、それと同時に、退屈なほど至極当たり前のことのようにも感じられます。私は25年前、廊下で人を捕まえては、「見てみて、これがあなたを変えるんですよ」と言っていた人間ですから、この矛盾を痛感しています。
ある教授を引き止めて、私のPDA(電子手帳)「Handspring Visor」を見せたのを鮮明に覚えています。これは単なる手帳ではなく、音楽を楽しめるエンターテインメント機器であり、カメラであり、研究用デバイスでもあると私は説明しました。私は、自分の学習を記録したり、デジタルでスキャンした引用文に注釈を加えたりするための小さなアプリを作っていました。教授は、それを面白いと思ってくれましたが、重要だとは思いませんでした。そして、それは、必ずしも間違ってはいませんでした。私は、それが重要であることを証明できなかったのです。
今となっては思い出すのもなかなか難しいですが、かつてガジェットに夢中になることは、奇妙なことだったのです。私にとっては、守らなければならないことであり、(より頻繁に)謝らなければならないことでした。今となっては古い考え方に思えますが、ガジェットやポップカルチャーについての発想を擁護するのに、ちょっとしたスピーチをしなければならなかったのです。私は、「何のオタクでもない人は、何事にも関心がない」と言っていました。
私は、昔も今も、ガジェットやコンシューマー・テクノロジーのオタクです。それは重要なことだと思うのです。多くの人は当然、スマートフォンの技術が年々向上していることなど気にも留めないでしょうが、その向上は時間とともに大きなインパクトに集約されていきます。スマートフォンがこれだけ進化し、普及した今でも、ガジェットに関する言説はまだ未発達だと思います。
テクノロジーはそれ自体がカルチャーであり、携帯電話やノートパソコン、アルゴリズムによって表示されるニュースフィードは、それ自体が、アート作品やファッションのトレンドと同様に、分析や批評、そして真剣な注目に値する文化的対象物なのです。これこそ、私がほとんどのテクノロジーの比喩として、「ツール」よりも「インストルメント」(道具、広い意味で手段)という言葉を好む理由です。どちらも有用な比喩ですが、「インストルメント」には「ツール」に欠けている、創造性や精密さが感じられます。そして、最も重要なことは、私たちがそれぞれの表現を生み出すために、つまりカルチャーを生み出すために使用するモノとの関係性を示唆しているのです。
この考え方は、The Vergeのレビューの哲学に深く組み込まれているため、目に見えにくく、カジュアルな読者にとっては、スピードとフィードを追求しただけのレビューと見分けがつかないかもしれません。もっとシンプルに考えれば、私たちは常に、「ただの電話」と「読者が一日に何百回も使って生活する、数メートルも離れることのない重要なインストルメント」の間の奇妙な空間に生きる、モノ自体を真剣に受け止めているということです。そのようなモノに真剣に考える価値がないとしたら、一体何にあるのでしょうか?
こうして書いていても、不思議な感じがします。これはかつて、誰も何が起こるかわからなかったからこそ、重要視された洞察でした。今、私たちはテクノロジーが作り出した世界にどっぷり浸かって生きているからこそ、こうした洞察に気付きにくく、重要だと思えないのです。私は、水について語る魚なのです。
The Verge での一番の思い出の多くは CES で起きました。CES は消費者向けの技術と消費主義の祭典で、かつては今よりもずっと重要なイベントでした。ラスベガスまで足を運んだ記者たちが、最高の製品が発表されることはない(Palm Pre以外は!)し、気の滅入るような長丁場だった、未来が最初に示される場所だと言っているけれど、そんなのは大げさだと指摘するのは、昔からお決まりのことだったのです。
本当にその通りで、私たちは、そのような現実から目をそらすことなく、取材に取り組んできました。それを無意味なものとして切り捨てることもしませんでした。私たちは、テクノロジー製品が与える影響を真剣に受け止め、今も受け止めています。CES 2015の会期末に、ガジェットの時代を舞台に、テクノロジーがいかにアートを変えるかについて述べた有名なウォルター・ベンヤミンのエッセイを再文脈化したビデオを撮影したのですが、これは冗談みたいで、実はかなり真剣なものでした。
そしてもちろん、CESは増々大きくなっていく私たちのチームと直接仕事をし、奇妙な状況で、厳しいプレッシャーの中、お互いが素晴らしい仕事をするのが見られる絶好のチャンスでもありました。よくThe Vergeはどうやっていつも一番乗りで、素晴らしい映像を作っているのかと聞かれるのですが、いつも答えに困ってしまいます。答えはとてもシンプルで、私たちはただ企画や整理、コラボレーションの仕方を理解し、非常に高いレベルで仕事をし、視聴者に正しく伝えることを深く考えているチームと結びつけただけだからです。それだけです。私が直接誰かをマネジメントするようになってから1分しか経っていませんが、私が誇りに思っていることのひとつは、きちんと考えて仕事をしながら、作っているものを常に改善しようとするカルチャーがあることです。
テックの基調講演がリアルで行われていた頃から、私はいつも一番最初に並んでいるジャーナリストだというジョークがあります。実際そうでしたし、よくそう言われましたが、そんなことはどうでもよく、喜んで非難を受けとめていました。私が早く行っていたのは、そのイベントが重要だと、いつも真剣に信じていたから。でも、たいていは、チームや観客の期待を裏切らないよう、自分ができることはすべてやっておこうと思っていたからです。
私はジャーナリストの列に並び、発表やガジェットが初公開される部屋にいて、通りすがりの役員と話せるかもしれないチャンスを持つ、特権的な立場にいました。そこで発表される製品やソフトウェアは、何千人、時には何百万人もの人々の日常生活の一部となるわけですから、決して色あせないよう最善を尽くし、企業がその場でした約束を果たさせる義務があると考えていました。その思いは、私の仕事にも表れているといいなと思います。そしてそれは、The Vergeの日々の仕事にも表れていると思います。
私は、今日もネットワークやガジェットが始まったばかりの頃のように、技術を楽観視しているわけではありませんが、ひどく悲観的でもありません。テクノロジーはまだ人類に偉大なことをもたらせられると思いますし、なくなることはないのですから、そうなるようにベストを尽くすべきだと思うのです。
また、テクノロジーが社会から疎外されたコミュニティにどのような影響を与えるか、さらにはそれが戦争にどのような影響を与えるかについても、より語られるようになってきています。私自身は、こうしたトピックでやれることをあまりやっていませんでしたが、私たちは今後もっとうまくやれるはずです。自分の手柄にするつもりはありませんが、私が最も誇りに思っていることのひとつは、デジタルハラスメントや偏見、その他多くのビッグテックがもたらした問題に直面している人々のために、The Vergeが立ち上がったことです。
私たちは、技術について、良いものなのか悪いものなのかと単純化するのを超えて、議論を深めていくことができるようになってきていると思います。そして、ここから離れる今、私はその努力に少しは貢献できたかと思っています。
つまり、テクノロジーは意味を作るための手段なのです。
私がデリダから学んだことのひとつは、書くことと意味の関係について考えることは、話すことについて考えることよりも多くの洞察をもたらすということでした。文章と意味の関係を考えることで、ほとんど何もないところから言語を使って意味を作り出すというこのビジネスが、どれほど複雑で豊かなものかを考えざるを得ない、とだけ申し上げておきたいと思います。
また、書くことによって、考え方や他人との関係が変わることも事実です。コミュニケーションのロジスティックを超えて、まったく別の思考モードになるのです。言葉を借りれば、「Think different」。(私が「ディフエランスを考える」というジョークを言おうとしていると思っただけで唸った記号論オタクに乾杯。)
書くことは、人間であることの意味を明らかにし、人間であることの意味を変えていく、それも同時に。書くことは、言語からどのように意味が生じるかを説明するために、いくつか単純な抽象概念以上のものが世の中には必要だってことを明らかにします。
まだよくわからないようでしたら、こう言っておきましょう。「ライティング 」という言葉を 「テクノロジー 」に置き換えればいいんです。結局のところ、書くことはテクノロジーなのです(言語自体もそうであると主張したいところですが、それは私の中の話です)。
テクノロジーを文章の一種として考えることで、エージェンシー(善悪の概念に基づいて道徳的判断を下し、これらの行動に対して責任を負う個人の能力のこと)いう考え方が前面に出てきます。あなたが(できれば)学んだ、批判的に読み、ある文章に同意するかどうかを考えるのと同じ思考方法を、テクノロジーに適用することができるのです。テクノロジーは一枚岩ではなく、人間の筆者の選択と能力の結果であることがより明確になります。
携帯電話のインターフェイスもそうです。あなたの体験を直線的な時間の小さな塊に切り分け、PCはあなたの体験を空間的に整理することができます。あなたが見ているソーシャルメディアのフィードや検索結果が、人間によって設計されたアルゴリズムの結果であることについて考えてみてください。そして何より、文章を書くのと同じように、テクノロジーも世界観を構築するものであり、コンテンツと同じようにコンテクストが重要であると。
そうした文脈を明らかにすることは、これまでも、そしてこれからも、The Vergeの仕事にとって不可欠なものだと信じています。私はもうこのチームの一員ではありませんが、The Vergegreatを作り続ける人々が、テクノロジーが私たちをどのように変えるかを明らかにするために、テクノロジーを使う新しい方法を見つけていく過程を、とても楽しみにしています。私はThe Verge時代の感情を直接表現するのではなく、中途半端な哲学に昇華していたのでしょうか。確かにそうかもしれない。だから、テクノロジーは意味を生み出す強力なインストルメントだと本当に信じている一方で、それを報告し、レビューすることは私にとって大きな意味があったと、はっきり言うべきなのでしょう。
私はここでキャリアを築きましたが、同時にThe Vergeというものを作り上げることにも貢献しました。このことを永遠に誇りに思い、それを成し遂げることができたことに感謝します。私は、テクノロジーが私たちをどのように変えていくのか、その最前線に立ちながら、爽快感を味わい、時には恐怖に襲われることもありました。そして、周囲の人々や人類全体に対する共感と思いやりを深めてきました。私は多くのものを与えられてきましたので、できる限りお返しをしようと努めてきました。ただただ感謝するのみです。
この10年間を1つの記事にまとめることは不可能ですし、限りない感謝を捧げるべき人たちの名前を挙げて感謝するのはさらに困難です。しかし、ヘレン・ハヴラックの安定したリーダーシップ、ジム・バンクオフの信念と素晴らしいメディア企業を築いたこと、ダン・セイファートの素晴らしいレビュープログラム、ウォルト・モスバーガーの指導と優しさ、ケイシー・ニュートンの知恵は、賞賛に値すると思います。ノリ・ドノヴァンの意欲的な動画作品、私の動画のパートナーであるヴィエラン・パヴィッチ、マリア・アブドゥルカフのSpringboardでの疲れ知らずの仕事ぶり、TC ソッテクの地に足の着いた常識観、ローレン・グッドの友情などなど、過去と現在のVergeのmasthead全体を絶賛し尽くすことができます。でもその代わりに、悲しいですが、それをここで短くして、彼らの手腕と私たちのジャーナリズムの使命への献身に対して、The Vergeの皆に感謝したいと思います。
そしてもちろん、何よりも私の親友であり真の友人であるニレイ・パテルに感謝します。彼は大胆不敵で刺激的な編集長でしたが、彼の最も評価されていない才能は、同僚や読者に対する共感と尊敬の念が非常に深いところだと思い舞うs。
20年間メディアに携わってきた中で、大きな喜びのひとつは、読者、視聴者、そしてファンの皆さんと関わることでした。The Vergeは常に、読者が賢く、難解なテクノロジーの断片でさえも真剣に受け止めてくれることを信じてきました。その信頼は、私が想像していた以上に読者が賢く、気にかけてくれたおかげで、大きく報われました。
私自身、幸いなことに、多くの読者、リスナー、視聴者の方々と、単なるパラソーシャルな関係ではなく、実際の関係を持つことができたと感じています。皆さんは私にリスクを負わせ、冗談を言わせ、多くのことを教えてくれました。
読者、リスナー、視聴者、ファン、観客など、ここで使う名詞はどれも受動的すぎます。このような形で、気の合う仲間と話しているような気分にさせてくれたことに感謝します。気の合う仲間と時を過ごすのは素晴らしいことですから、いつでも気軽に声をかけてください。これから先、私からの連絡は少なくなるかもしれませんが、私はいつもあなた方のことを思っています。
by Dieter Bohn
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サムソンです。
気が付いたらMARCHです。転職してあっという間に3ヶ月になりますね。久しぶりに毎日頭を使っていることもあって、夜になると体も精神的にも疲れる。生きている。スタートアップの初期は客もいなければ、売るものもまだなくて、免許を取得しようにも時間も金もかかる。いつお金がなくなっててもおかしくない日々。縁と運だけには恵まれている私は、自分よりはるかに頭のいい人たちに囲い込まれて、生き生きしてます。大手町にいるので近くまで来たら、ランチでもコーヒーでもしよう。
ちゃお。